Only the good die young

昭和90年、中学2年生と300数ヶ月。

インテリの眼前聳え立つバカの壁

仕事柄、公私ともに色々な業界を外から見る機会に恵まれているのだが、いわゆる旧来のビジネスモデルからの脱却に手間取っている業界、例えばマスコミとか出版とか音楽とか、の「中の人」に話を聞くと、世界的潮流を頑として受け付けない(ご本人はそう思っていない)ことが多くて震える。いや必ずしもあなたのことをいっているわけではありませんよ。世界的潮流つっても一般論にすぎねぇとか日本はちがうんだよとか。いやそんなことないんだってこれが!パラダイムシフトという名の巨人の進撃を食い止めるための心理的障壁は果てしなく高い。

気の利かないイケメン

若いイケメンでモテてモテて困ってるわけではない男ってダメだな。ホントに。と思った話。自然体で頭も気も使わないままに周りに受け容れられて当然、みたいに思ってるからかもしれないけど全っ然気が利かなくて不細工なオッサンとしては引くわー軽く引くわ―。ついでに長男で男子校の進学校育ちだったりすると極みです。モテるやつはさすがに自分の強みを生かしつつ策略全開でそれはそれはまぁいいんじゃないっすか。まぁ嫉妬半分なんだけども。

世間はお盆休みだけどもさ。

仕事用に書いているブログは結構ざっくばらんなテイストではあるが、さすがにそれ言っちゃダメだから、ということは書いていない。ゆえに筆の進みが遅いことも多い。一方でツイッターは反射的に思ったことを備忘的に呟くことが多いのでフォローしていただいている方には申し訳ないと思いつつ結構アレなことも書いている。後から読み返すとほうほうなるほど、とは思う。翻って当ブログだが、もう少し構想を練ってから、あるいは推敲しなきゃとは思うがマジで一筆書きの書き下ろしだ。ちなみに今日はナイスでフランクな打ち合わせを2件ばかりこなして機嫌が良かったんだけど過去からの肉体的疲労の蓄積なのかやたら足がむくんでダルい。ダル死ム、ヨガファイヤー。あぁそうだヨガの美人先生に教えてもらったメニューでもやるか。やるかやられるか。ディスイズ夏のペイン。

テクノロジーは音楽を殺さない

最近では武道館でのライヴくらいだとアンプシミュレータで音を作ってそのまんまブチかますという嘘のようなホントの話がある。音がすっきり整理されていいんだよ、と。しかしながらテクノロジーが音楽を殺すわけではない。テクノロジーが殺すのは旧態依然としたビジネスモデルや利権構造だ。最近遅ればせながら気づいたのだが世の中の殆どの人にとってNo music no proplem ということだ。No music my life と堂々と言い放った(違ったかな)百田夏菜子はエラい。百田尚樹は迂闊なハゲだが。閑話休題。No metal no life な私でさえも、音楽産業というものが20世紀のレガシーとして溶鉱炉の中に親指立てながら沈んで行っても アイルビーバック言わなくていいよ、と笑顔で伝えるだろう。じゃあの。

音楽と人でなし

夏バテ事前回避のために早く帰宅して「FNSうたの夏まつり」をつけている。なんというかすべてが90年代で止まっている彼の局だが90年代以前の懐メロをドヤっと展開するのには向いている。そこは評価していい。ヨルタモリがいい意味で90年代以前テイストだなぁと中年である私が感じるのはまぁそんなところだ。

で、本題だがあえて楽器演奏者について。クラシック畑の人にとってポップスの添え物のお仕事ってのは、それはとんかつ定食の横に彩りとして添えられているパッサパサのパセリとほぼ同水準だと思うのだが、クラシカルアレンジとやらで超退屈なフレーズをいかにもな表情で弾くのはアリなのだろうか。一方でルックスを武器にこれまたしょーもないポップスの添え物で陳腐な戦慄を陶酔しながら(という顔芸をしながら)弾くのはどうなんだろう、クラシック界が商業音楽を徹底的に軽蔑するのも良くわかる。オリンピックを目指すアスリートが商業スポーツに鞍替えするときのような、もっというと柔道のメダリストが総合格闘技だのプロレスだのに転身するのを苦々しい顔で睨みつける協会のクソジ・・・いや、重鎮の先生方の気持ちもなんとなくわかる。

そしてこれまた別のクエスチョンはベテランの有名ギタリスト先生がクソの役にも立たないギターソロを弾くのを誰も止めないことだ。これはもう万死に値すると思う。むしろお客様に聴かせるに値しないソロなら1音たりとも弾かせるな。誰か言ってやるべきだ、そのフレーズしょっぱいっすよ、と。本人だってそれを望んでる(イングヴェイは望んでないけど)アイドルの女の子がなんちゃって風に弾くギターのようがよっぽどエモーショナルでどうする。ゲイリー・ムーアの墓参りに行って詫びるべきだ。

日本の資本主義、というものを再構築しないとダメな件

同じく社畜根性満載なのが今回の東芝の不適切会計、というかド派手な粉飾決算だ。万が一上場廃止を経て破綻なんてしたら影響範囲が広すぎ、とかナントカ、政策的判断とやらが入って(そしてそれは大抵間違っている)なんとなくの幕引きになるんだろうけど、まぁ鵜の目鷹の目で金融界隈は東芝事業切り売りだのMBOだのを画策しているんだろうけどサザエさんも泣いてるよ!しかしライブドアやインデックスはダメで東芝はOKなんだね、そりゃ日本に正しい資本主義が根付かないわけだ。中国のことを笑えないんじゃないの?民主主義もダメ(これはアジア全域)資本主義もダメときたら近代日本が目指してきたこの150年は何だったんでしょう坂の上の雲、どころか、坂上田村麻呂の時代からやり直ししたほうがいいんじゃないかな・・・

社畜根性溢れるわが国家

新国立競技場民主党政権時代に決まったこと、と首相。オレが招致したぜ(都知事の野郎は失脚したけどな)とドヤ顔決めてたくせに。前任者のやったことなので私めにおっしゃられましても、、、というのは昔よく見聞きした。そう、社畜根性というやつだ。歴代ダメ政権ダメ首相というのはたくさんいたがぶっちぎりの最高ランクに位置するのがいまの首相だ。そりゃ諸外国の元首に勝てないわけさ。その辺の社畜担当者と創業オーナー社長が交渉しているようなもんだ。おじいちゃんとお父さんはさすがに泣いてると思うんだが。再登板させた国民の罪は重い。ギリシアのことを笑えない。