Only the good die young

昭和90年、中学2年生と300数ヶ月。

音楽と人でなし

夏バテ事前回避のために早く帰宅して「FNSうたの夏まつり」をつけている。なんというかすべてが90年代で止まっている彼の局だが90年代以前の懐メロをドヤっと展開するのには向いている。そこは評価していい。ヨルタモリがいい意味で90年代以前テイストだなぁと中年である私が感じるのはまぁそんなところだ。

で、本題だがあえて楽器演奏者について。クラシック畑の人にとってポップスの添え物のお仕事ってのは、それはとんかつ定食の横に彩りとして添えられているパッサパサのパセリとほぼ同水準だと思うのだが、クラシカルアレンジとやらで超退屈なフレーズをいかにもな表情で弾くのはアリなのだろうか。一方でルックスを武器にこれまたしょーもないポップスの添え物で陳腐な戦慄を陶酔しながら(という顔芸をしながら)弾くのはどうなんだろう、クラシック界が商業音楽を徹底的に軽蔑するのも良くわかる。オリンピックを目指すアスリートが商業スポーツに鞍替えするときのような、もっというと柔道のメダリストが総合格闘技だのプロレスだのに転身するのを苦々しい顔で睨みつける協会のクソジ・・・いや、重鎮の先生方の気持ちもなんとなくわかる。

そしてこれまた別のクエスチョンはベテランの有名ギタリスト先生がクソの役にも立たないギターソロを弾くのを誰も止めないことだ。これはもう万死に値すると思う。むしろお客様に聴かせるに値しないソロなら1音たりとも弾かせるな。誰か言ってやるべきだ、そのフレーズしょっぱいっすよ、と。本人だってそれを望んでる(イングヴェイは望んでないけど)アイドルの女の子がなんちゃって風に弾くギターのようがよっぽどエモーショナルでどうする。ゲイリー・ムーアの墓参りに行って詫びるべきだ。